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リサール?ボニファシオ?国民に最も愛されているのはどちらか?

 

国民に最も愛されているヒーローはだれでしょうか?革命家のホセ・リサール?それとも同じ革命家のアンドレス・ボニファシオ?2018年6月9日(独立記念日の数日前)に開催されるレオンギャラリー・スペクタキュラー・ミッドイヤーオークションに2人の品が出品され、人々はこの興味深い疑問で盛りあがることになるでしょう。奇しくも、この日はリサールの誕生日の約1週間前です。

 

出品される一方の品は、ホセ・リサールの個性的で驚くほどすばらしい木製の彫刻作品です。レオンギャラリーの支配人のJaime Ponce de Leonはこの作品のことを「もっとも偉大なフィリピン人による理想的なフィリピン人像」と説明しています。大きな木の幹のサイズで、卵型に浅彫りされた作品です。この作品は、国民的ヒーローがミンダナオ島のダピタンに流刑されていた時代に彫った作品です。スペイン政府は、彼の心をうまくへし折る方法を知っていました。リサールはマドリッドやパリ、ロンドン、ウィーンに住み、西洋の国々で学び、何カ国語も話すことができました。スペイン政府は尋問を通して、彼の貪欲な学習意欲を見抜き、何もない場所に彼を追いやることにしました。本や絵画、音楽など情報がひとつも届かない場所に流刑することで、革命への貪欲な心をはぎ取ってしまおうとしました。しかし、ホセ・リサールは、そのスペイン政府の企みに負けずに耐え抜き、武力ではなく彼の優れた知性を使ってその企みに抵抗し続けました。

 

1980年から書き続けていた「On the Indolence of the Filipinos」で、彼はフィリピン流聖像学を確立しました。それは、Carlos “Botong” V. Franciscoが、最初の作品を描く半世紀も前のことです。フェレメラ(手紙やグリーティングカードなどの一時的な筆記物)やレアな本のコレクターGus Vibalによると、リサールが聖像学を確率する前は、フィリピン人は半裸の野蛮な人か弱々しい田舎の人々として描かれていたそうです。

 

リサールの「On the Indolence of the Filipinos」は、はじめて若いフィリピン人男性が、腕を曲げて筋肉を見える男らしい姿を描いた作品と言えるでしょう。この描かれた男性は、リサールが思い描いた国家主義の、若い芽の象徴だったことは明らかです。

 

国立博物館もこの作品に興味を持っていて、この作品に入札し博物館への寄付をしてもらえるなら、その人には特別な税の優遇をしたいと考えているようです。国立博物館の責任者は、「絵の価値を鑑定する必要はない」と言っています。「それよりも、作者(リサール)の人物としての価値が高く、それで十分だ。」とも言っています。

 

もう一方のボニファシオに関する出品物は、希少価値が高いカティプナン(アンドレス・ボニファシオらが結成した、スペインからのフィリピン独立運動の秘密結社)にまつわる品です。両刃で戦争などでも装備されるような、上品な短剣です。KKK(カティプナンの組織)の流血を伴う儀式でつかわれたかもしれません。柄にはフリーメイソンのシンボルのような、三角形の模様の中に、太陽と人の顔が装飾されています。ただし、そこにはフィリピンの国旗も描かれています。真ちゅう製のさやには、両側に太陽が描かれています。おそらく1892年から、カティプナンが創立され、ボニファシオが死んだ年の1897年頃までに作られたものでしょう。フィリピンの独立を目指す秘密結社が最も多く活動していた時期です。

 

ボニファシオの妻Gregoria de Jesusがサインをしてエピファニオ・デ・ロス・サントスの息子に渡しているとても希少な写真も出品されます。Greoriaはエピファニオ・デ・ロス・サントスのことを「大切な息子」と言っていました。実際、彼はGregoria が彼女自身の人生を書いたthe Katipunan’s Lakambiniという本を出版するモチベーションになりました。そして、この本は4回増刷されるという驚異的な人気を誇る本となっています。

 

最も心が動かされるのは、のアンドレス・ボニファシオの裁判や投獄、Marogondon山での失踪などで1897年3月のカヴィテ州で苦難について、Goriaが手書きで記した15ページのメモです。彼女は、伯父からボニファシオの死について確実な情報がもたらされるまで、必死に彼を探し続けました。

 

その伯父は、彼女の母の兄弟のGeneral Mariano Alvarez。彼は、ボニファシオをMagdalo対Magdiwangの激しい戦火に巻き込んだその人です。誰も、少なくともSupremoのメンバーは誰ひとりとして、ボニファシオがあんな恐ろしい戦いに巻き込まれると想像していなかったでしょう。

 

結果として、妻であるGoriaも窮地に追い込まれます。道に落ちているまだ青いバナナを拾ったり、おかゆを食べたりして生活していました。着ている服もとても汚くみすぼらしいものでした。彼女の父は島流しにあい、彼女の母はわずかな収入のきつい市の水道関連の仕事で、身を粉にして働くように強いられました。彼女はボニファシオの残された少ない友人のエミリオ・ハシントに助けを求める手紙を書いています。この手紙もレオンギャラリーのオークションに出品されています。

 

H. del Pilarというある無名のヒーローがいました。彼の名前はマラテの道の名前として以外はほとんどしられていません。しかし、アンドレス・ボニファシオは彼の信奉者の一人でした。皮肉なことに、スペイン人たちは彼はホセ・リサールよりも危険人物だと考えていました。Marcelo H. del Pilarは修道士に攻撃のターゲットにされるほどドライで淡々と革命を進める人物でした。(事実、修道士たちは彼がスペインに逃げた後に、彼の家を焼きつくすことに成功しています。)Del Pilarは、革命で命は落とさないと固く決意していました。ホセ・リサールのように輝かしい運命をたどる為に、意識的にかつ綿密な計画を立て行動する人間でした。

 

ホセ・リサールの人気を不滅のものとしたのはLeon Ma. Guerreroが1952年に書いたDel Pilarの伝記です。その伝記は賞もとっています。「様々なヒーローのあり方がある。リサールのように革命で命を落としたヒーローもいます。一点の曇りもない純粋な人の死は、人間に罪の意識と償いの心をもたらします。一方で、ボニファシオのように好戦的なヒーローもいます。もがき苦しんでいた人たちを先導した力強い勇敢なヒーローです。」

 

「Del Pilarのように、日々のあたりまえのことに身をささげた目立たないヒーローもいます。戦闘の華々しい栄光や、悲劇的な処刑をされたわけでもありません。でも、理想に燃え、敵の中で孤独と戦いました。無知や無関心の中で苦しみ、他人の墓に一緒に埋葬されるほど貧しさの中で生き死んでいったヒーローです。」

 

Del Pilarが妻のMarcelo H. del Pilarに書いた手紙は、彼の一番有名な手紙でしょう。マドリードでのつらい日々について詳しく書かれています。彼が、たばこを吸うために吸殻を道で拾っていたことなど、学生として過ごしていた彼の日々の詳細が語られています。(この彼の妻への手紙もレオンギャラリーの6月のオークションに出品されます。)

 

彼は地味な日々を送ってよの中には知られていませんが、それでもM.H. del Pilarはカティプナンでは聖人としてあがめられています。ボニファシオはdel Pilarの義理の兄弟をKKKの創立者に選びました。そして、なにか決めることがある時にはdel Pilarの助言と承認が必要であると規定に定めていました。カティプナンの影響が強いKalayaanという新聞の名前をつけたのもdel Pilarです。そして、ボニファシオは、彼の弟子や協力者たちを集めるためにdel Pilarの名声を使っていました。

 

いつの日か、今とても人気なHeneral Luna, MHのように、del Pilarがただの有名な革命家の伯父ではなくTirad Pass(地名)のGregorio del Pilarとして有名になり人気が出る日が来るかもしれません。

 

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