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幽遊白書

一時期私も幽遊白書を一生懸命読んでた時期がありましたが、フィリピンで幽遊白書について書かれた文章を見つけました。以下は和訳文です。

こういうふうな見方もあったとは・・・

新鮮です。

 

この世界の中で、自分とは何者なのかが見つけられずにいるときに、アニメはそばにいてくれる心強い存在だ。

幽遊白書という幽霊たちが戦う物語があった。そのアニメは小学6年生だった私の中にあった、同性愛の心を刺激した。そのアニメには、とてもかっこいい衣装を着ているキュートな男子キャラがいた。彼は、アニメの多くの回で、上半身裸で出ていた。何よりも大切なポイントは彼が同性愛(同性愛っぽい)キャラだったことだ。

私が幽遊白書を見ていたのは1999年。フィリピン語の吹き替え版だった。フィリピンでの初放送は90年代半ばだったので、私が見ていたのは再放送だった。学校のあと幽遊白書の戦闘シーンを真似することが、近所の子供たちのちょっとしたイベントでした。だれが、浦飯幽助をやるか、桑原和真をやるか、蔵馬か飛影か、いつもけんかになった。浦飯チームをやりたいのと同じくらい、みんなが悪役をやりたがった。セーラームーンによって同性愛が目覚めてしまった小学3年生の僕。その時代に、機動戦士ガンダムや烈火の炎、幽遊白書のようなアニメがあったことで、近所やクラスの子たちの輪のなかからはずれずに存在することができた。

セリーヌ・ディオンやバックストリート・ボーイズ、Song Hitsのことばかり話す女々しい男子とは、だれも話したがらない。その時僕は「アニメ」と言う言葉すら知らなかったけれど、僕の町の小学高学年の子供たちは漫画が大好きではまっていた。興味の対象はそれだけだった。今年25周年を迎える幽遊白書。このアニメは「同性愛者ではない普通のクラスメートに認めてもらえるように」とゲイの神様たちがくれた恩恵だと思った。幽遊白書を見ることで、彼らの会話に参加することができた。その頃の子供たちにとって、テレビ番組といえば幽遊白書だった。もしも、この時、あなたが幽遊白書を知らないか、もしくはテレビさえ持っていないなかったら、完全にのけものにされていただろう。

うちには、カートゥーン ネットワークとかディズニーチャンネルなんてものは無かった。ケーブルテレビは高かった。我が家のように、「大家が家賃を値上げするといいませんように」と願うようなうちでは、ケーブルテレビは特権階級の贅沢で夢のような話だった。幽遊白書が最初に放映された時、僕は最終回すら見られなかった。なぜかは思い出せない。たぶん、両親は僕にもっと他の番組を見てほしかったのだと思う。家では見られなかったから、僕のことを「オカマ」と呼ぶ近所の男の子たちに不満はあったけれど、我慢しなければいけなった。我慢していれば、彼らの家で幽遊白書を見せてもらえるから。

日本の漫画の中に、僕が本当になりたいものを見つけたのは、皮肉だ。Ang TV やG-mikがよかったのに。Ang TV やG-mikは、フィリピンの10代の理想的な悪ガキたちと、いい時間の過ごし方を描いている。でも、僕は彼らの中に自分に近いものを見出すことはできなかった。彼らは、偶像化されすぎているように感じた。と同時に、フィリピンのテレビ番組では(少なくとも私が見た物は)ゲイのキャラクターは人を笑わせるピエロか、おまけのキャラクターでしかなかった。そのキャラクターは後々、私がクラスで演じたキャラそのものだった。テレビを見た影響で、まわりの人は僕にそのキャラクターを求めていると思ったからだ。そのキャラクターを演じていた僕が変わるきっかけをくれたのは、幽遊白書の蔵馬にとの出会いだ。親近感がわくキャラクターで、「おお!僕もこいつみたいになりたい!」って思わせてくれた。

蔵馬は人間の形をした妖狐。蔵馬は赤い巻き髪と女性っぽい容姿からよく女性に間違われる。彼は強くてミステリアスな存在として、恐れられていた。彼のキャラクターが、小さな僕の中にあるかわいいゲイの心を引き出してしまった。僕はそのころは、まだゲイではなく、せいぜい同性と異性の間で揺れ動いていたくらいだった。僕が蔵馬を好きだったのは、浦飯幽助や桑原和真のように、敵意をむき出しにして、敵をなぎ倒していく筋肉隆々(マッチョ)な戦士じゃなかったからだ。蔵馬は、知性が高く、ずる賢く、華やかな見た目で、情け容赦なさを隠し持っていた。僕は彼の人間と妖怪の姿なの中に、自分自身を重ねた。

幽遊白書は同性愛についても描いている。仙水ファミリーの一人、樹(いつき)が仙水に恋していたのは明らかだった。暗黒武術会ではトランスジェンダーな悪役、みゆきも登場した。玄海師範も、最後には女性だったと証明されたが、性別がよくわからない存在だった。おしゃぶりをしているコエンマもゲイ好みのトゥインク(※若くてスリムで、ヒゲや体毛が薄い男性のこと)に見えた。

初期のころの憧れは、あんなスーパーパワーを持って生れていたらという純粋な空想だった。そう空想していると、学校の退屈さを感じている日々の中で、自分自身が大切で特別な存在のように思えた。私は幼かったので、蔵馬のゲイ向けの武器である薔薇の鞭を手に入れられたらなどと空想していた。私の頭の中では、蔵馬の鞭は、カウボーイや忍者の持っているかっこいい武器を想像させた。鞍馬の薔薇の鞭は棘で飾られていて人を死に至らせるような武器だけれど、美しさと気高さを感じさせた。

後で知ったことだが、90年代のアニメ文化は、最近のテレビの万人受けするアニメとは違う一面を持っていた。Elaine Castilloはそのことについて、彼女のデビュー小説「America Is Not the Heart」で触れている。この本は、サンフランシスコのベイエリアに住んでいたフィリピン人移民3世が、漫画を読んだり、アニメを見たりすることでアジア人としてのプライドを守ろうとしている姿が描かれている。 Castillo自身は、自分自身がバイセクシャルだと公言していて、彼女が同性愛に目覚めるきっかけになったセーラームーンや、新世紀エヴァンゲリオン、ふしぎ遊戯などのアニメを見て育ったと言っています。

彼女は、小説のなかでこう言っています。「サンフランシスコには、漫画を販売したり、アニメのテープをレンタルしている台湾人経営のお見せがあった。」「そこで販売されている漫画は、すべてが英語に翻訳されていたわけではなかったので、漫画の翻訳をし合うコミュニティーのようなものできていた。さらに、インターネット上にも、漫画をスキャンして翻訳(英語でトランスレート)する、スキャンレーション(笑)というコミュニティーがあった。私はそのインターネットサイトで、ナルトなどいくつかの漫画を読んだ。漫画やアニメと、これらのコミュニティーは私にとって人生だった。」

さらに彼女はこう続ける。「アニメの中に無意識に、私たちの存在意義をみつけ、居場所を確保しようとみんな必死だったんだと思う。もし、テレビが好きだったなら、ベイウォッチというドラマを知っているでしょ。ベイウォッチはカリフォルニアを舞台にしたドラマなはずだけれど、私はあのドラマの中に、カリフォルニアらしさを見つけることが出来なかった。むしろ、カリフォルニアでは、あのドラマのような人なんて1人も知らない。私はあんなにたくさんの白人の人たちの中では育たなかった。だから、セーラームーンのようなアニメをみると、『そう!わかる!』と思えた。無意識に、この作品が私たちのような人たちが作ったと感じたのだと思う。」90年代は欧米の「フレンズ」などの大人向けの番組を見ていると、自分はそこに属さない気がした。ディズニーチャンネルや、カトゥーンネットワークやニコロデオンなど子供向けの番組もあったけれど、純白さに包まれた感じが距離を感じさせた(私のうちが、ケーブルテレビを観られるようになったのはもう少し後だが…)。僕たちのような同性愛の子供には、アニメしかなかった。同性愛のテリトリーにずかずか土足で踏み込んでいくようなフィリピンの10代向けの番組は、つま先さえ足を踏み入れる勇気はなかった。

 

 

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